盛岡城
盛岡城は、岩手県盛岡市にあった日本の城で、1937年に国の史跡に指定され、2006年には日本100名城に選定されました。南部藩主南部氏の居城であり、北上川と中津川の合流地に築かれた平山城です。
本丸の北側に二の丸が配され、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られています。現在は朱塗りの橋が架かっていますが、存城当時は廊下橋が架けられていました。さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配されています。本丸には天守台が築かれましたが、幕府への遠慮から天守は築かれず、御三階櫓が建造され代用とされました。後に12代利済により天守と改称されました。
盛岡城の石垣は白い花崗岩で組まれており、東北地方の城郭の中では異彩を放っています。建造物は明治初頭に解体され、城内に移築された土蔵と、市内の報恩禅寺に移築されたとされる門が現存します。日露戦争で戦死した南部家第42代当主南部利祥を表彰した騎馬像「南部中尉銅像」が1908年に建立されましたが、太平洋戦争中に金属供出で持ち去られ、現在は台座しか残されていません。
現在の盛岡城址は、長岡安平の設計により1906年に『岩手公園』として整備されました。宮沢賢治や石川啄木の詩碑などが公園内にあります。1989年には日本の都市公園100選に選定され、2006年には日本100名城、日本の歴史公園100選に選定されました。