歴史
盛岡八幡宮は、康平5年(1062年)に源頼義が安倍氏討伐の際に戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのが始まりと伝えられています。「鳩森八幡宮」と称し、地元の豪族の日戸氏が代々崇敬しました。文禄2年(1593年)、南部氏が盛岡城を築城した際に城内鎮守の神社として再建されました。
延宝8年(1680年)に南部重信は青森から南部氏の氏神であった櫛引八幡を勧請し、「新八幡」「南部新八幡」と称しました。明治に入って鳩森八幡を新八幡に遷座し、さらに明治22年(1889年)には市内の白山神社を合祀しました。明治39年(1906年)には岩手護國神社が境内に移設されました。
平成14年(2002年)には正面一の鳥居が建て替えられました。旧鳥居は宝暦13年(1763年)に南部利雄(南部藩8代藩主)によって築造された歴史のあるもので、現在は境内の別の場所に移築されています。
施設・境内社
元々は八幡山の頂上にあった小祠を本殿としていましたが、後にそれを囲むように本殿が建てられました。拝殿は八幡山の麓にあります。
境内には、笠森稲荷神社、神明社、梅宮、盛岡天神社、十二支の守り神を祀る十二支神社、神宝殿、岩手護國神社、霊璽簿奉安殿、戦没者遺骨奉安殿、岩手県神社庁など、多くの施設があり、それぞれが独自の歴史と役割を持っています。