一関市のおなもてなし餅の文化
一関地域はかつて伊達領でした。江戸時代から武家の年中行事として餅を食べる習慣があり、それが商家や農家に広まっていきました。
農家が藩主に献上する餅米を工夫してくず米をおいしく食べる方法を見つけたことで、様々な種類の餅が作られるようになったと言われています。
特に、一関地方で伝統的なもてなし料理として受け継がれているのが「もち本膳」です。この膳の上にはご飯やおかずではなく、餅が何種類もズラリと並べられます。そして、祝いの席か不祝儀かによってメニューが変わるとのこと。
一関地方の餅の歳時記を見ると、正月から始まり、七草、桃の節句、春彼岸、八十八夜、端午の節句、お盆など、季節の行事ごとに年間約60日も餅を食べる風習があり、今も続いているそうです。
餅の里・一関は、昔ながらの餅文化が根付いているため、市内では餅イベントが増え、それが新しい餅メニューを生み出し、一関は「餅の町」として進化中です。
20年以上前から行われている新しい餅料理コンテスト「もちりんピック」、2月に開催される餅の早食いイベント「全国わんこもち大会」、そして4年前からは工夫を凝らした餅料理やスイーツを食べ比べ、投票でグランプリが決まる「全国ご当地もちサミット」などが市民の人気を集めています。
「道の駅 厳美渓」、市内の飲食店や居酒屋など、本当に餅メニューが街にあふれています。一関の餅料理はもはや300種類とも400種類とも聞かれるほど多様で、正確な数は分かりませんが、餅の美味しい料理が市内に溢れています。一関の餅文化はまだまだ進化を続け、さらなる魅力を放っています。